「ガンで死ぬのもそんなに悪いもんじゃない」
母は、何度かそんなことを言っていました。
死ぬ準備が出来るから、突然死ぬよりはいいと言いたかったのでしょう。
わたしはなんと返事をすればいいのかわからず、
笑ってごまかすしかありません。
その言葉通り、母は父に簡単な料理を教えたり、
身辺整理を始めたのですが、
その頃すでに、体力も落ち、がんは全身に広がっていたので、
重い衣装ケースを持った時に腰を痛めてしまいました。
動けなくなっては思うように身辺整理もできず、
それでも口は達者だったので、
父の教育は続けていたようです。
何しろ父は、カップラーメンですら作れない人でしたから。
これが12月の話。
コタツに入った母は、ニコニコしながら、
父にお蕎麦の作り方を教えていたのを、今でも思い出します。
わたしには、
「好きな食器があったら持って行きなさい」などと言います。
そこでもわたしは何もできませんでした。
その頃の母は、どこまで自分の死を覚悟していたのでしょう。
そして元旦に体調を崩し、
崩れ落ちるように生気を失っていく母を見るのはとても怖かったです。
結局、母の身辺整理は思ったように進まないまま。
その後、
遺族となったわたし達は、母の遺品整理に大苦戦することに……。
この話は、後回しにするとして、
とにかく母の終活は、取りかかるのが遅かったというわけです。
具合が悪くなってからでは、動くに動けず、
身辺整理というものは、思いの外体力も使います。
「終活は元気なうちに」
このスローガンが、今頃になって身に染みます。
母も、心残りがあったんじゃないかなぁ。
「きれいに死にたい」
と、言った人だったから。
終活はとかく、
死に直面している人がするものだと思われがちですが、
死ぬ準備をするととらえるより、
日々の生活の中で、意識するものであってほしいと、
わたしは考えています。
悲壮感をもって取りかかるのではなく、
楽しみながら、また、大人のたしなみとして、
身近に感じてほしいと思うのです。
「後悔しない生き方を模索する」
それが終活なんじゃないかなと、
良いこと言った!気分になって今日は締めます(´艸`*)
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